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平成30年11月21日 (水) 井上和彦 × 藤井厳喜

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ゴーン容疑者 是正を拒否 監視委が不正投資指摘

ゴーン容疑者の逮捕はアメリカの仕業!?

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
私の好きな謀略説としては、アメリカのトランプ政権の仕業ではないかと思っています。

 
実は、今年に入ってから日産は中国の自動車会社である東風汽車集団に対して投資することがカルロス・ (Carlos) ゴーン (Ghosn) 氏によって発表されました。

 
内容としてはEVなどの電気自動車に1兆円規模の投資をするとされています。

中国共産党は電気自動車において世界のイニシアチブをとろうと考えています。

そんな中国で2020年までに、40車種を投入しようと考えており、一気に乗っていこうと考えている動きがありました。

自動車産業は軍事産業に転用できる

今、世界各国の企業は中国から撤退しています。

自動車技術はすぐに軍事的なことにも応用できます。

そのため、中国の自動車産業を発展させることはアメリカはよしとは考えていません。

ルノーはフランスの国策会社

日産自動車は当然、日本の会社です。

しかし、フランスの自動車会社ルノーの子会社でもあります。

それは、1999年 (平成11年) 3月27日に結ばれた「ルノー・日産アライアンス」によって、戦略的提携が結ばれたことによります。

2016年 (平成28年) 以降は、三菱自動車工業が加わり、「ルノー・日産・三菱アライアンス」と呼ばれるようになりました。

企業規模でいえばルノーに比べて日産が大きいですが、日産はルノーの議決権を持っていません。

一方、ルノーは日産株の4割超を保有しているため議決権も持つ状態です。

ルノーはゴーン容疑者を罷免しない

フランスの自動車会社であるルノーは今回の大事件が発生したにも関わらず、ゴーン容疑者を罷免していません。

それは、ルノーとフランス政府の関係性に着目する必要性があります。

ルノーの筆頭株主はフランス政府

 
フランスのエマニュエル・ (Emmanuel) マクロン (Macron) 大統領はかねてから、日産とスノーの経営統合を唱えていました。

しかし、それにゴーン容疑者は反対していたため、今回の事件でフランス政府もどのように動くのか注目されることです。

フランスとアメリカの関係性

現在、フランスとアメリカの関係性もよくありません。

最近、マクロン大統領はNATOにかわる欧州軍を作ると発言しておりアメリカを牽制している動きもみられます。


自民 尖閣・竹島で対策強化要請 領土特命委員会 政府側に

北方領土 四島返還が6割 安倍外交は指示 世論調査

ロシアとの領土問題から見た日本の外交

日本の安倍 (あべ) 晋三 (しんぞう) 内閣総理大臣とロシアのウラジーミル・ (Vladimir ) プーチン (Putin)) 大統領はお互いがトップでいる間に、何とか領土問題を解決しようと動いていることは間違いありません。

北方領土はまぎれもなく日本の領土です。

そのため、四島一括返還が当たり前だと主張することは日本側の立場としては当然なのです。

しかし、そこで考えないといけないのがロシアとの関係性です。

もちろん、安倍首相の考えとして四島一括返還がベストだと考えているでしょうが、それによってロシアとの関係が悪くなることは避けたいところです。

外交を考えると、中国との対峙を考えたときどうしてもロシアと手を結んでおかないといけません。

井上和彦さん
井上和彦さん
日本とロシアが仲良くすることを一番嫌がる国は中国です。


米副大統領「中国は態度を改めよ」不公正貿易を批判

パプアニューギニアで行われたAPEC

10月4日に行われた中国への宣戦布告ともとれる演説以降、マイク・ (Mike) ペンス (Pence) 副大統領が中国に対しての発言は力強いものを感じております。

 
ポイントとなるのは、今回パプアニューギニアで演説をしたことです。

実はパプアニューギニアはかなりの中国資本が入っています。

まだ、パプアニューギニアはまだまだ経済的にも軍事的にも独立しているとは言えません。

今回のAPECでも国内だけでは警備が手薄だったためオーストラリア軍を警備につけたほどだと言われています。

日本の自衛隊とパプアニューギニアのつながり

実は、日本の自衛隊はパプアニューギニアにおいて軍楽隊を作る手伝いをしています。

パプアニューギニア能力構築支援事業(軍楽隊育成)

自衛隊の援助が実を結び パプアニューギニア軍楽隊(18/11/18)


パプアニューギニア軍楽隊による『ふるさと』演奏-平成30年11月17日

『能力構築支援事業』という名目でパプアニューギニアとのつながりを形成しているのが日本です。

[防衛省 自衛隊] 能力構築支援事業


ダライ・ラマ権利訴え講演 「抑圧より現実的対応を」

ダライ・ラマ14世が訴えている自治とは?

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
記事内に出てくる『チベット族』と言う表現は止めましょう。

『チベット民族』もしくは『チベット人』です。

今回、日本の報道ではダライ・ラマ14世氏は『高度な自治』を求めたと伝えています。

しかし、英語では『Genuine Autonomy』と発言しており『純粋な自治』と意味です。

つまり、『高度な自治』とかなりニュアンスが違っており、独立を前提とした自治を求めています。

 

チベットで起こっている【焼身抗議】とは?

多くのチベット人が【焼身抗議】を行って中国への弾圧を世界に訴えています。

この【焼身抗議】というのは、抗議しながら焼身自殺を行うことを意味します。

公には150人ものチベット人が【焼身抗議】で命を失ったと言われています。

しかし、類推ではありますが、専門家は1,000人以上に上るのではないかとの見方もあります。


昭和の英雄が語る ~大東亜戦争・偉大なる記憶~


軽巡洋艦【矢矧】で戦った池田武邦さん

池田 (いけだ) 武邦 (たけくに) さんは、軽巡洋艦【矢矧 (やはぎ) 】の少尉候補生として戦った方です。

1943年 (昭和18年) 9月15日
池田武邦さんが19歳の時、海軍兵学校を卒業

1944年 (昭和19年) 10月
レイテ沖海戦の時、軽巡洋艦【矢矧】に航海士として乗船

1945年 (昭和20年) 4月
坊ノ岬沖海戦の時、軽巡洋艦【矢矧】で沖縄水上特攻に出撃


池田武邦さんが戦った、レイテ沖海戦


1944年 (昭和19年) 10月 池田武邦さんは【矢矧】に乗ってレイテ湾に向かいます。

レイテ沖海戦は大東亜戦争の天王山と言われている海戦です。

日本海軍の参加艦艇69隻なのに対し、米豪・連合国軍参加艦艇201隻と数では圧倒的不利な状況でした。

フィリピンへは矢矧が一番先頭を進み、その後を栗田艦隊が続いてレイテ沖に向かっていました。

栗田健男海軍中将が率いる栗田艦隊

栗田艦隊とは海軍中将である栗田 (くりた) 健男 (たけお) 氏が率いる艦隊で【大和 (やまと) 】【長門 (ながと) 】【武蔵 (むさし) 】が【矢矧】の後に続いてレイテ湾に向かっていました。

しかし、シブヤン海で敵の攻撃を受けて【武蔵】が沈みます。

池田武邦さんはその光景を今でも覚えておられます。

レイテ沖での【矢矧】

【矢矧】は比較的小さいほうだったので【武蔵】ほど攻撃は受けませんでした。

だからと言って、敵が攻めてこないわけではありません。

戦闘機の操縦士の顔が見えるくらいの距離まで近づき、ぶつかるのではないかと思うくらい激しいものでした。

池田武邦さんの記憶ではレイテ沖戦は酷いものだったと記憶されています。

戦艦内では負傷者が続出し血が流れてきますが、それぞれ配置についているから負傷者を運ぶことはできません。

敵がいなくなったらやっと負傷者を運ぶことができました。

しかし、すでに倒れた人の血は床上で2センチくらいの高さまで達していたそうです。

その血が船が揺れるたびに流れて、血と硝煙の臭い混ざり独特の臭いが艦内を充満していました。

レイテ湾を目前にして「謎の反転」

このレイテ沖海戦でいまだに解明されていない出来事があります。

レイテ湾に突入するまであと30分くらいの距離までたどり着いた時、栗田健男氏は「敵は別の場所にいる」と言って反転を命じます。

池田さんの考えでは当然突入するべきだと思っていました。

これは、未だに「謎の反転」と言われています。

池田武邦さんが戦った、坊ノ岬沖海戦


1945年 (昭和20年) 4月 池田武邦さんは【矢矧】の乗って沖縄に向かいます。

この時、生還することなど全く考えていなかったそうです。

100%死ぬことを覚悟で沖縄水上特攻に向かいます。

丁度、九州から太平洋に出る時、満開の桜が見えた瞬間の思いは今でも覚えておられます。

そのため、未だに桜を見るたびにあの時の空気が甦るそうです。

沖縄水上特攻での【矢矧】

敵の戦載機が【矢矧】に来襲を仕掛ける様子はまるで、ハチの巣をつつくようだったそうです。

同じ方向からではなく様々な角度から同時に攻撃を受けました。

日本側は応戦として置ける場所にはおけるだけ機銃を置きました。

しかし、まずスクリューを一番初めにやられます。

その結果、矢矧は旋回するようになってしまい、直進で進むことができなくなりました。

【大和】を守るためにある戦艦ですが【矢矧】の方が先に沈んでしまいます。

敗戦国という屈辱を噛み締める

【矢矧】が沈むとわかった時は、退艦命令などはありません。

とにかく、脱出して泳ぐしかありませんでした。

必死に泳ぎながらも、横目で【大和】が沈んでいくのを見ていました。

その様な状態の池田武邦さんたちを機銃掃射が襲ってきます。

飛行機が低空で向かってきて相手の顔が確認できるほどでした。

しかし、これはいくら戦争といえども違反行為です。

もし、日本が勝っていればその戦闘員を軍事裁判にかけることができました。

なせなら、戦闘能力がない兵士を攻撃してはいけないからです。

しかし、池田武邦さんはただ一言呟かれます。

「負けたら何も言えない…」

その後、油の中を泳ぎ駆逐艦【冬月】に助けられ九死に一生を得ました。

池田武邦さんは自分が乗っていた【矢矧】が攻撃を受けている写真を玄関に飾っていたそうです。

しかし、どうしてこのような思い出したくもない写真を玄関に飾っていたのでしょうか?

その理由は次のような思いがあるからだそうです。

「これ以上に酷いことはない、もう死ぬことはないんだと自分を鼓舞するため」

 

若者たちへ…昭和の英雄より


池田武邦さんは若者に負け戦の汚名を着せてしまったことに対して申し訳なさを滲ませながら、次のようなことを述べられていました。

日本の心は生きて未だにあるんじゃないかと僕は思っています。

それを後世に伝えたい。

日本文化の根底には自然を畏れ敬う気持ちがあります。

海には海の神様、山には山の神様がいます。

人間も自然の一部です。

日の出の時に太陽を拝んだり、満月のお月様を見て月を愛でたりすることを大切にしたいです。

やっぱり、自然を畏れ敬う心っていうのは大事だなという気持ちです。

 

池田武邦さんの戦後の活躍

戦後、池田武邦さんは建築家として活躍されます。

東京大学第一工学部建築学科卒業したあとは山下寿郎建築設計事務所勤務しました。

建築家として霞が関ビルに携わったりされています。

京王プラザホテルの設計もされていますが、その高さが【矢矧】とほぼ同じ高さだった時は何とも言えない感じだったそうです。

そして、最後の設計となったのは長崎のハウステンボスだったそうです。