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平成30年11月7日 (水) 井上和彦 × 志方俊之

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日韓首脳会談見送りへ 韓国最高裁の徴用工判決受け

河野外相 韓国徴用工判決に「あらゆる手段とる用意」

今回の“いわゆる”徴用工として取り扱うことが間違い

井上和彦さん
井上和彦さん
安倍総理もおっしゃっていた、“いわゆる”徴用工問題は、結果的に韓国が国際的な信用を失います。

 
国民徴用令は日本国民に対して行われていました。

日本統治時代の朝鮮人は全員が日本国民だったので、徴用工として扱うことがそもそもの間違いだと言えます。

 

この問題に対しての日本政府側の責任

今まで、日本政府は韓国との関係をなあなあにしてきました。

できるだけ、韓国と衝突しないようにしていたことが外交だと勘違いしていた節ふしがあります。

日本に対しては何を言ってもいいと状況を作った点においては日本政府にも責任はあります。

国際司法裁判所に訴える準備

しかし、今回は今までの日本政府とは違った対応を見せているのが河野 (こうの) 太郎 (たろう) 外務大臣です。

井上和彦さん
井上和彦さん
河野外相は偉いですね。最近、ファンなんです。

日本政府の立場として断固たる姿勢を貫いています。

在韓日本大使を召還しない日本政府の狙いとは?

そこで、ポイントとなることは今回の一件で在大韓民国日本国大使館の大使である、長嶺 (ながみね) 安政 (やすまさ) 氏を日本に召還していない点です。

長嶺氏は2016年 (平成28年) から駐大韓民国特命全権大使を務めていますが、過去に大使召還として日本に帰国していたことはありました。

2017年 (平成29年) 1月9日 慰安婦問題日韓合意に基いて直ちに撤去されるべき従軍慰安婦像を、韓国当局が日本側からの慰安婦像撤去の申し入れに応じなかった時の外交手段として、日本政府は大使召還を行いました。

しかし、この時は12週間後の4月4日に再赴任します。

北朝鮮によるミサイル発射で安全保障協力の必要性が高まったことや、朴槿恵 (パク・クネ) 大統領の罷免で大統領選挙が前倒しになったことなどを総合的に判断した日本政府の決定でした。

大使召還の外交上の意味

大使召還は外交上の代表者を本国に帰還させることであり、一時的に外交を断絶させることを意味しています。

過去に日本の在韓大使召還が行われたのは、次の様な出来事があった時でした。

2012年 (平成24年) 8月10日 李明博 (イ・ミョンバク) 大統領が竹島を訪問した時、武藤 (むとう) 正敏 (まさとし) 大使を召還。

 
日本政府はすでに国際司法裁判所 (International Court of ) (ICJ) (Justice) に訴えることを考えていると言えます。

つまり、裁判と起こすとなると日本と韓国の間で折衝役が必要となるからです。

困っているのは文在寅大統領

今回の韓国の最高裁判所である大法院が下した判断で困っているのは文在寅 (ムン・ジェイン) 大統領の方です。

もし、本当に国際司法裁判所に訴えられると、当然竹島の問題も一緒に俎上に載せられてもおかしくありません。

それが証拠としてわかるのが、判決が出た後1週間経っても大統領から明確な声明を出していません。

しかも、韓国国内でこの件で政府の方に「私も今裁判をやって請求できるのか?」などの問い合わせが殺到しているともいわれています。

どのようなことをしても、最終的には韓国政府が払わないといけないのは確実なのです。


岩屋防衛相 F2後継機開発「国内企業関与は大事」

日本で戦闘機を作る大切さ

戦後、アメリカは日本の自動車産業については禁止しませんでしたが、日本の航空機産業に対しては10年間禁止したことがあります。

それが今でも、後を引いている部分はあります。

しかし、いくらアメリカが日本より総合的な戦闘機の製造レベルが優れているとしても、すべてたった一カ国で製造するのは難しい時代になっています。

第6世代ジェット戦闘機について、数カ所について日本がアメリカより優れているとなると、共同開発も可能となります。

志方俊之さん
志方俊之さん
できあがった航空機を買うだけじゃ話になりません。

岩屋防衛大臣のおっしゃることは正しいですね。

防衛技術基盤を維持することが大事

戦闘機を所有していれば大丈夫という話ではありません。

一番大事になってくるのは、防衛技術基盤を維持することが何より大事なのです。

戦闘機をどこからか購入すれば一時的に考えれば安いかもしれませんが、長い目で見たとき日本で飛行機製造の技術がなくなることの方が恐ろしいことになります。


入管法、8日の審議入り見送り 自民 拙速批判回避狙う

本来であれば20年前から少子化対策に取り組まないといけなかった

そもそも、この人手不足の原因は日本が少子高齢化社会になっていることが問題です。

赤ちゃんが生まれてから働き手になるまでに20年かかるので、20年前から施策しておく必要がありました。

同時に、日本の若者が赤ちゃんを産みたくなる施策もしないといけません。

性善説で外国人を受け入れてはいけない

今回の法案は一時しのぎの労働力として、外国人労働者を受け入れようとしています。

法律通りにいい人だけが日本に入ってくるなら問題ありませんが、必ず裏をかいて外国人が日本に入国してきます。

日本の場合は技術が盗まれる可能性が非常に危惧されるところです。

一度、ドアを開いてしまったら戻すことはできません。

志方俊之さん
志方俊之さん
必ず悪い面がついてくるので、入管の方法は狭くしておく必要があります。



中国最新鋭ステルス無人機初公開 米試作機と酷似

戦闘機の有人機と無人機の違い

今、時代の流れとして戦闘機は有人機から無人機に進んでいます。

無人機は墜落しても人が死なないことは大きなメリットですがそれだけはありません。

一番、大きなメリットは戦闘機の限界を格段に上げることができることです。

有人の戦闘機は人間の限界が戦闘機の限界になります。

しかし、無人の戦闘機は機械の限界が戦闘機の限界になるからです。

中国の戦闘機の製造技術のレベル

中国の技術はリバースエンジニアリングと言われています。

本来であれば何か製品を作る時はまず図面から引きますが、リバースエンジニアリングは完成品をバラして、同じものを組み立てるという製造方法です。

日本の子供用テレビゲームも兵器に転用できると言われています。

北朝鮮の工作船やミサイルが秋葉原製と揶揄されるのはそのためです。

戦闘機の外見はどうしても似てくる

物理的な性能をつきつめていくと、どうしても似てくることはしょうがない部分があるので、問題は中身となります。

どんなに外見を真似しても実施に飛ばしてみないとその性能はわかりません。

子供とする鬼ごっこと同じで、本人は隠れて相手は見えていないと思っていても実は見えているのかもしれないのです。

しかし、ビックリするぐらい発展することも考えられるので侮ってはいけません。

志方俊之さんの懐かしの写真


ロンヤス会談のアテンド

中曽根 (なかそね) 康弘 (やすひろ) 内閣総理大臣と、アメリカのロナルド・ (Ronald) レーガン (Reagan) 大統領が会談した「ロンヤス会談」のアテンドの調整役を現役時代やっていました。

その時、安倍 (あべ) 晋太郎 (しんたろう) 外務大臣の秘書として、安倍総理が一緒にいたそうです。

その後、中曽根氏がリタイヤされた時、志方さんも退官したタイミングでした。

その時「給料はやらんが、何か勉強させてやる」と直々にスカウトをされ、平和研究所に務めたそうです。

 

東京都災害対策担当参与として石原慎太郎知事のアドバイザー

石原 (いしはら) 慎太郎 (しんたろう) 知事が中曽根氏に「危機管理について誰か適任の人はいないか?」と相談を受けました。

そして、志方さんに白羽の矢が立ち「行ってこい」の一言でその日から勤務し10年間、個人的なアドバイスを後ろから支えていいました。

防災の際の知事の指揮権

防災の時は、どちらかしか助けられない瞬間があります。

1人の重症の患者から助けるべきか? 多くの軽傷の患者から助けるべきか?

全員を助けることができないから問題になっている究極の判断は知事しかできません。

火事の時も同じで、東京消防庁長官でさえも複数の火事の現場があった場合決めることはできません。

あくまで、知事がすべての指揮権を持っています。

防衛大臣補佐官

2012年 (平成24年) 4月6日~6月24日まで志方さんは防衛大臣補佐官を務めていらっしゃいました。

その時、防衛大臣は田中 (たなか) 直紀 (なおき) 防衛大臣だったそうです。

居島一平さん
居島一平さん
これはまた、大変な大臣の時ですね。
井上和彦さん
井上和彦さん
ちょっと、お聞きしてもいいですか?

ご苦労されましたか?

志方俊之さん
志方俊之さん
たった10分間程度の距離で、まったく違うタイプの人に仕えるという意味で苦労しました。


昭和の英雄が語る ~大東亜戦争・偉大なる記憶~


本土防空戦で戦った竹田五郎元陸軍大尉

竹田 (たけだ) 五郎 (ごろう) 元陸軍大尉は1944年 (昭和19年) 飛行第244戦隊に配属され、三式戦闘機【愛称:飛燕】で本土防空戦を戦いました。

本土防空戦で特攻隊が作られた経緯

本土防空戦とは日本本土防空日本本土空襲から守るための戦いです。

つまり、攻めてくる敵国アメリカの戦闘機から本土の帝都である東京を守るためです。

その攻めてくる、アメリカの戦闘機はB-29でした。

飛行第244戦隊が持つ戦闘機は飛燕ですが2つの戦闘機は大きさが圧倒的に違います

  • 【飛燕】全長8.94m
  • 【B-29】全長30m

竹田五郎元陸軍大尉が初めて見たのは今でもハッキリ覚えておられ、1944年 (昭和19年) 11月1日 偵察でB-29がきた時でした。

飛燕で高度8,000~9,000mまで40分かけて上空まで上がりました。

しかし、B-29は更に1,000m上空を飛んでいます。

ここまでの高度の違いを見せつけられると、航空戦で勝てることはできないと確信します。

B-29に勝つためには少なくとも9,000~10,000mを上空できる戦闘機が必要となりました。

しかし、その方法は機体を軽くするしかありません。

  • 1門13ミリという機関砲を下ろす
  • 防空版という体を守る鉄板を下ろす
  • 塗装を消す
  • 弾は100発以下

つまり、必要がないものは全て機体から下ろしました。

それで、防空戦を戦えと言われますが、戦闘員はこのままじゃ敵を落とせないと理解していました。

それで、作られた部隊が特攻隊でした。

震天制 (しんてんせい) 空隊 (くうたい) に所属していた中野松美軍曹はB-29の機体の上に馬乗りして攻撃しました。

B-29の上に馬乗りなってもプロペラは動いているので、そのプロペラでB-29を攻撃できるのです。

しかも驚くべきことに、中野松美軍曹は機体で体当たりしているにも関わらず、2度も生還されているのです。

志方俊之さん
志方俊之さん
私はB-29はけしからんと思います。

軍事目標を攻撃するなら戦争中だからわかりますが、庶民に対して焼夷弾 (しょういだん) を落としたことはけしからんです。

上司の命令を破って大戦果を上げる戦い

飛行第244戦隊は空軍の中でもエリート部隊だったので、切り札として扱われていました。

つまり、戦闘となるとすぐに出撃したわけではなく、最後の手段として温存されていたと言えます。

飛行第244戦隊として主な本土防空戦は以下のようなものがあります。

  • 調布を拠点とした首都圏防衛
  • 浜松を拠点とた中京地区防衛
  • 鹿児島県・知覧を拠点とした沖縄戦の援護
  • 小牧飛行場 (愛知)、八日市上空 (滋賀)を転戦

八日市上空でのB-29との戦い

八日市の上空に敵の艦載機の艇団が近づいてきた時、命令に背いたことがありました。

上部からの命令は飛行第244戦隊に待機を命じていました。

飛行第244戦隊の下に機動部隊が近づいたという情報が入り、仲間の間では明日あたりにくるのではないかと予想していました。

そこで、小林 (こばやし) 照彦 (てるひこ) 戦隊長に空に上がったほうがいいんじゃないかと意見します。

その時、小林照彦戦隊長が考えに考え抜いて言った言葉は「演習だ!演習!」と言いました。

つまり、小林照彦戦隊長は次のことを伝えたかったのです。

「戦闘のために上空にいくことはいけないが、練習することとして出撃しろ。」

 
なぜなら、上に報告すると必ず止められることはわかっていたのです。

竹田五郎元陸軍大尉が上空に突撃したのは、1945年 (昭和20年) 1月3日 B-29のが大艇団となって70機が本土を襲う時でした。

飛行第244戦隊は先に上空に上がって待ち構えていたので、B-29を5機も墜落させ大戦果を上げることに成功します。

しかし、この大戦果は命令に背いた出撃だったので、上級司令部から命令違反だと言って怒られます。

しかし、天皇陛下からお褒めの言葉をいただき上級司令部も認める形でおさまりました。

その結果、一升ビンを褒美として与えられました。

特攻で散った、四宮中尉への思い

この飛行第244戦隊は1945年 (昭和20年) 7月25日の終戦直前まで、本土防空戦を戦い抜きます。

その間に、当然戦死して失った戦友もいます。

その中で沖縄特攻で散った四宮 (しのみや) (とおる) 中尉の遺書を、竹田五郎元陸軍大尉は今でも大事に保管されています。

一度ゆきて又帰れと
生死元より念願に無き吾等 (われら)
常に喜び勇みて挺身難障を求め
皇國護持の重責に感激し
任務完達に驀進 (ばくしん) あるのみ
只思うは勝の一字のみ
死生を超越せりとて安ずる (なか) れかれ
唯々宿敵を必滅すべく努力せん

四月一日 四宮中尉

四宮徹中尉が最後に出撃されたのは4月末でした。

最後の遺書には「断」の一文字が書かれていたそうです。

竹田五郎元陸軍大尉と四宮徹中尉の絆

竹田五郎元陸軍大尉は四宮徹中尉のことをただただ「男だった」と言っておられました。

一緒の部屋で寝て、兄弟以上の存在でした。

そして、上から「各師団・書く飛行隊は1部隊で4人だせ」と命令が下ります。

その時「お前のところは、四宮君を出してくれ」と言われます。

竹田五郎元陸軍大尉は涙をのんで「君に命令が来たよ」と告げます。

その時、四宮徹中尉はまったく動揺することなく「結構です」と言ったそうです。

飛行第244戦隊には戦隊歌

実は飛行第244戦隊には戦隊歌がありました。
『高く綾なす 飛行雲』

第42回陸海軍軍歌演奏会軍装会 飛燕戦闘隊々歌

井上和彦さん
井上和彦さん
73年前に若い人たちが日本を守ろうとしてくれたことを忘れてはなりません。

 

志方俊之さん
志方俊之さん
その通りですね。

この様な人たちが今の航空自衛隊を作っているんです。

特攻隊を無駄死にという教育を受けている人がいますが、そうじゃありません。

こういう人がいて、今の平和と自衛隊があるんです。

この精神が今の自衛隊は受け継いでいるんです。

若者たちへ…昭和の英雄より


最後に竹田五郎元陸軍大尉は現代の人に対してこの様な言葉を残されました。

やっぱり、自分の国は自分で守る。自分の家族も守るという風にしないといけません。

今のような戦争はやらない。

「平和の祈りをし、不戦の誓いをやれば諸外国は攻めてこない」と考えるのはおかしい。

日本の周りにそういう野望を抱かない国はないわけではない。

そういう状況にあるから自分の国は守るんです。

申し訳ないですが、守るのは若い者ですよね。

亡くなった方も皆そういう気持ちだった。

特攻隊の人たちは今の日本を見たら怒るんじゃないかと思います。

「我々は思いもしなかった。しっかりしろよ!平和ボケをなおせ!」

今度、部下たちに会ったら「隊長、話しが違うじゃないか」と私は怒られるかもしれません。


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