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令和元年6月11日 (火) 百田尚樹 × 江崎道朗

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百田さん 佐藤正久外務副大臣の決意表明に福島へ応援に

百田尚樹さん
百田尚樹さん
私は6月8~9日の週末は福島県に行ってきました。

それは、ひげの隊長こと佐藤正久外務副大臣が参議院選挙に出馬する決意表明の応援のためです。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
大阪に戻っても一番くやしかったことは、泊まった土湯温泉で混浴できなかったことです。
居島一平さん
居島一平さん
なんの反省なんですかッ!


植村眞久海軍大尉が愛児である素子への手紙

佐藤 (さとう) 正久 (まさひさ) 外務副大臣は、ある人物が愛娘に宛てた手紙を読まれたそうです。

その人物とは植村 (うえむら) 眞久 (まさひさ) 海軍大尉です。

植村大尉はレイテ島東方海面の米機動部隊に特攻隊として出撃し、享年25歳で散華されています。

その出撃する前、生後3ヵ月になる愛娘である素子 (もとこ) さんに宛てた手紙です。

素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。

私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。

素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。

私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。

素子といふ名前は私がつけたのです。

素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。

私はお前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのをみとどけたいのですが、 若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても決して悲しんではなりません。

お前が大きくなつて、父に会いたい時は九段へいらつしやい。

そして心に深く念ずれぱ、 必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。

父はお前は幸福ものと思びます。

生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちやんを見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。

またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、 御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。

必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて居ります。

優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。

お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを讃んで貰びなさい。

昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ

追伸

素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。

だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。

<昭和三十五年八月ゝ十月靖國神社社頭掲示>

[歴史が眠る多磨霊園] 植村眞久




台湾で中国軍上陸阻止の実弾演習

台湾 中国からの侵攻想定し軍事演習に3,000人超動員 (2019/5/31)


台湾とアメリカはかなり中国を警戒している

この演習は台湾が中国に見せつけることが一番の目的と考えられます。

しかし、それは中国の習近平 (しゅう きんぺい) 国家主席が、台湾への侵攻をかなり具体化させているとも言えるのです。

そのため、台湾やアメリカはかなり危機感を抱いています。

万が一、台湾を巡って有事が起こってしまうと、日本の存在は非常に大切になります。

なぜなら、武器の弾薬や燃料の補給のためです。

アメリカから運ぶと考えると、とても遠すぎてしまいます。

江崎道朗さん
江崎道朗さん
実はアメリカ軍のOBがこれに参加しています。
百田尚樹さん
百田尚樹さん
今江崎さんは微妙に言葉をぼかされましたね。

ま~、OBだけが参加ということはありえないですね。

日米韓から日米台へ

今までは、アジアの平和は日米韓の3ヵ国の同盟で守られていたと考えられていました。

しかし、今となっては日本と韓国の関係が悪化の一途をたどっています。

それに加えて、アメリカと韓国との同盟関係が消滅するとまで言われています。

その代わりに同盟を結ぶとなると、台湾になります。

台湾は地域から国へ

国際社会においては、台湾を国として認めるには非常に曖昧な立場と言えます。

しかし、いざ日米台で同盟を結ぶとなると、1つの独立国として認められることになるでしょう。


『逃亡犯条例』の改定案で香港デモに103万人が参加

香港で大規模デモ“容疑者引き渡し”条例 (2019/6/10)


『逃亡犯条例』の改正案が成立すると香港はどうなるのか?

第5代 中華人民共和国香港特別行政区行政長官を務める林鄭 (りんてい) 月娥 (げつが) 氏は、この『逃亡犯条例』の改定は「法の向け穴を防ぐため」と説明しています。

しかし、今回起こった香港逃亡犯条例デモからわかるように、香港人はかなり危機感を抱いているのは確かです。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
もし、『逃亡犯条例』の改正案が成立してしまうと、完全に香港は中国に飲み込まれます。

香港人の7人に1人以上がデモに参加

主催者発表は103万人と発表していますが、この数字が本当かどうかはわかりません。

これだけの人数となると、正確な数字などもはや集計できないからです。

しかし、かなりの香港人が『逃亡犯条例』の改定案に反対しているのは間違いありません。

仮に、本当に103万人となると香港の人口は約700万人であるため、単純計算すると7人に1人がデモに参加したと言えます。

子供や老人はなかなかデモに参加できないため、かなりの成人がデモに参加していたかが予想できます。



百田氏「消費増税で国力落ちる」

百田尚樹さん
百田尚樹さん
昨日の10日に私はついに安倍総理にメールしてしまいました。



【火曜特集】
皇室を陥れる者たち ~上皇陛下の戦い~


終戦から自問自答されてきた、平成天皇の思いとは?

1945年 (昭和20年) 8月15日 当時はまだ11歳だった現在の上皇陛下が、学習院初等科 6年に書かれた作文が残されています。

『新日本の建設』

今は日本のどん底です。

それに敵がどんなことを言つて来るかわかりません。

これからは苦しい事つらい事がどの位あるかわかりません。

どんな苦しくなつてもこのどん底からはい上がらなければなりません。

それも皆私の双肩にかゝつてゐるのです。

それには先生方、傅育官のいふ事をよく聞いて実行し、どんな苦しさにもたへしのんで行けるだけのねばり強さを養ひ、もつともつとしつかりして明治天皇のやうに皆から仰がれるようになつて、日本を導いていかねがならないと思ひます。

この作文は昭和天皇の侍従を務めていた、木下 (きのした) 道雄 (みちお) 氏の『側近日誌』に記載されています。

現行憲法によって改悪された皇室制度

1947年 (昭和22年) 5月3日 『大日本帝国憲法』から『日本国憲法』が施行されました。

この時、いくつか変更された部分があります。

その中で皇室制度の観点から見た時、改悪されたことが7項目あります。

  1. 国政についての発言権剥奪
  2. 皇室を支える組織が廃止、縮小へ
  3. 皇室経費は国会のコントロール下へ
  4. 11宮家は臣籍降下
  5. 旧皇室典範など関係法令の大半が廃止
  6. 学校で「皇室排除」教育が横行
  7. 警報の「不敬罪」が廃止

ここで、注意していただきたいことがあります。

それは1番目の「国政についての発言権剥奪」です。

これだけを見ると、まるで皇室が国政に常に口をはさんでいたかのように錯覚を受けます。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
しかし、実際の昭和天皇は国政にほとんど口をはさむことはありませんでした。

朝日新聞からの攻撃

過去に朝日新聞は、平成天皇の思いを攻撃するかのようなことがありました。

なぜなら、平成天皇を今までの天皇陛下とは違う天皇陛下に、したてあげたいという思惑があったからです。

 「護憲天皇」というレッテル貼り

1989年 (平成元年) 1月9日 「即位後朝見の儀」でのお言葉の中に「日本国憲法を守り」という一節がりました。

これについて、朝日新聞などが次の様に批判しました。

平成天皇は『護憲』であり、『改憲派は天皇陛下のご意思に背いて改憲を進めるのか!

 「伝統軽視の天皇」というレッテル貼り

マスコミは次の質問を繰り返したことがあります。

昭和天皇の時代と比べて天皇陛下としての活動の在り方も変わってきたようにお見受けしますが、ご自身では、どんな点をどのような思いから変えていきたとお考えでしょうか?

百田尚樹さん
百田尚樹さん
この質問がきたないところは、すでに前提を決めているところですね。
江崎道朗さん
江崎道朗さん
現在の上皇上皇后両陛下は次の様に返答して答えは一貫していました。

その一貫していた返答は次のお考えです。

国民の幸福を祈る皇室の伝統は、歴代天皇含めて一貫して変わっていません。その伝統を引き継ぐつもりです。

平成10年 お誕生日前の記者会見

日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。

この規定と、国民の幸せを常に思っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています。

『内閣法制局』とは一体どのような組織なのか?

居島一平さん
居島一平さん
多くの方が知らないと思います。

皇室最大の敵と言われても仕方がないのが内閣法制局ですね。

内閣法制局とは内閣に置かれる機関です。

閣議に必要な法令案の審査や立案、法制に関する調査や研究を行います。

具体的に言うと、憲法解釈を含めた法律などの様々なことについて司る機関とも言えます。

政府が【譲位】ではなく【退位】と表現した理由とは?

今年、平成から令和に改元されるにあたって【譲位】と【退位】の両方が使われていました。

一貫して天皇陛下御自身は【譲位】の表現を使っておわれました。

しかし、政府は【退位】の表現を使っていました。

実は、この違いにも内閣法制局の意思がありました。

それは言葉の意味合いによる違いです。

  • 【譲位】とは「位を譲る」
  • 【退位】とは「位を退く」
江崎道朗さん
江崎道朗さん
天皇陛下御自身の意思で位を譲ることは許されないという解釈を内閣法制局がしたからです。

日本共産党や朝日新聞も悪いんですが、それ以上に悪いやつらです。

『内閣法制局』の絶対的権力とは?

内閣法制局が持つ絶対的な権力として次のようなことがあります。

  1. 法令解釈について各省庁に意見できる
  2. 法案について内閣に意見できる
  3. 金庫番の財務省と同じくらい強い権限である、拒否権を持っている
  4. 選挙に選ばれなくても同じ人達が居座り続ける

議員立法に関しては、衆議院と参議院にそれぞれの法制局があります。

一方で、内閣の法案は内閣法制局です。

それに加えて、衆参の法制局を取りまとめていることも担っています。

内閣法制局で勤めている人達は、大学卒業してから入ってくる人達もいます。

それ以外にも、各省庁などから入ってくる人もいます。

 「スパーシティー」構想を断念した理由

片山 (かたやま) さつき地方創生担大臣の下で考えられていた法案がありました。

その法案は「スパーシティー」構想です。

しかし、「スパーシティー」構想は今年の2019年 (令和元年) 5月に今国会での成立は断念することになりました。

江崎道朗さん
江崎道朗さん
「スパーシティー」構想が実現しなかったのは、内閣法制局が違憲の疑いがあると言ったからです。

政府がいくらやりたいと思っても、内閣法制局が「違憲の疑いがある」と発言した時点で法案はすべて止まってしまいます。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
これは影の内閣やん・・・
江崎道朗さん
江崎道朗さん
影の内閣どころか絶対的権力で、日本の最高権力なんです。

『内閣法制局』が皇室に行ったこと

昭和50年代 内閣法制局は天皇継承の最も重要な儀式である、大嘗祭を否定したことがあります。

その理由は、大嘗祭は政教分離の疑いがあるためであり、もはや国費では開催できないと意見しました。

そのため、大嘗祭が開催できない可能性が浮上しました。

幸いなことに、この危機はなんとか免れました。

この時、昭和天皇が御体を壊されたことで、皇居前に国民が押しかけたことがキッカケでした。

そこで、当時の竹下 (たけした) (のぼる) 内閣総理大臣と小渕 (おぶち) 恵三 (けいぞう) 官房長官が内閣法制局を論破したからでした。

江崎道朗さん
江崎道朗さん
平成から令和への改元の際、元号史上初である事前発表されたのも、内閣法制局が意見したためです。

天皇陛下の即位と改元を一緒にやっていくと、元号が天皇の即位であるかのように誤解される。

そのため、国民主権に馴染まないと判断したからです。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
事前に印刷物などの準備ためとか言っていましたが、皇室の権限を削ぐためでしたか。
居島一平さん
居島一平さん
第66代 内閣法制局長官を務める、横畠 (よこばたけ) 裕介 (ゆうすけ) 氏の次の様な発言がありますね。

天皇に配慮すると、国民主権を定める日本国憲法において、違反するおそれがある。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
『横畠』ではなく『横車』ですね。

『内閣法制局』に今でも影響を与える、宮澤俊義氏

内閣法制局がこの様な思考法に染まってしまっているのは、東京大学の法学部のエリートで占められているからと言われています。

そして、今尚影響を与えてしまっている人物は宮澤 (みやざわ) 俊義 (としよし) 東京大学名誉教授です。

宮澤 (みやざわ) 俊義 (としよし) 氏は天皇陛下に対してとんでもない主張をします。

天皇の象徴性をなんらの実質的な権力をもたず、ただ内閣の支持にしたがって機械的に『めくら判』をおすだけのロボット的存在。

江崎道朗さん
江崎道朗さん
残念ながら、この宮澤俊義さんは私の母方の遠縁なんです。
居島一平さん
居島一平さん
え~、そうなんですか!

つながりますね。

『内閣法制局』は天皇ロボット説に権威を与えた

この宮澤俊義氏の天皇ロボット説に対して内閣法制局は次の様な形で権威を与え続けてきました。

天皇は君主として国政の一部に関与できる。

天皇は国政に影響を及ぼす権能を持っていない。

1964年 (昭和39年) 3月19日 高辻 (たかつじ) 正己 (まさみ) 内閣法制局次長

天皇の御意思が国政に影響を及ぼしてはならない。

1988年 (昭和63年) 5月26日 大出 (おおで) 峻郎 (たかお) 内閣法制局第一部長

上皇陛下と歴代内閣の戦い

天皇 VS 細川内閣

1993年 (平成5年) 8月10日 細川 (ほそかわ) 護熙 (もりひろ) 元内閣総理大臣の発言です。

私自身は大東亜戦争は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している

それに対して、平成天皇は次の様な対応をとられました。

それは、陛下の強い御希望によって、地方への慰霊の旅が行われました。

そこで天皇陛下が作られた短歌である御製を詠まれ、それを自ら書かれて遺族に渡されました。

『国がため あまた逝きしを 悼みつつ 平らけき世を 願ひあゆまむ』

国のために多くの方々が亡くなったことを悼みつつ、戦没者の霊が安らぐことのできる世の中を願って歩こう。

天皇 VS 村山内閣

1995年 (平成7年) 8月15日 村山 (むらやま) 富市 (とみいち) 元内閣総理大臣が50回目の終戦記念日に次のことを表明されました。

植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた。痛切な反省の意と心からのお詫びの気持ちを述べます。

それに対して、平成天皇は次の様な発言を1997年 (平成9年) 5月16日の記者会見でされています。

戦後50年という年は、戦争によって亡くなった多くの人々を悼み、遺族の上の思って過ごそうと、外国訪問は考えていませんでした。



POSTED COMMENT

  1. キツネ より:

    ≪香逃デモ『亡犯香港条例』≫

    日本でこのようなデモが見られる場合、どうしても左翼的思考を持った革新派の人たちばかりの印象があります。

    しかし、実際保守派の人たちや右寄りの人たちもデモに似た活動はしていると思います。

    ただ、マスコミに取り上げられないため気が付きにくいだけなのでしょう。

    日本で香港のようなことが起こるとは考えにくいですが、安保法案改定の時はこのようなものだったのだろうかと思いました。

    ≪内閣法制局が元号の発表を早めたのか?≫

    虎ノ門ニュースをご覧になっている方で、この放送回で疑問に思った方はいると思います。

    それは「内閣法制局によって元号発表が早められた」と言うことです。

    以前、月曜日担当の青山繁晴さんが安倍首相の考えで早めたと発言しておられたからです。

    その内容は「このままでは天皇陛下が政治に介入したことになりかねない」との理由によって、内閣主導で行ったとの内容でした。

    私ではどっちが正しいかど確かめようがありませんが、かなり疑問に思った部分でした。

    しかし、どちらにしてもどちらも似たような理由のように感じます。

  2. take-shima より:

    政治から遠ざけられているという認識がとても強い天皇陛下はそれ故に国の行く末なんて考えないだろう、そこまで行かなくても発言なんかしないだろうという印象が強いのではと思っていましたが全くそんな事は無くて一国民以上に国を憂えて、それこそ「御国のために」が最も強い最高の国民でいらっしゃる事が強く伝わりました。
    改めて上皇陛下、上皇后陛下には頭の下がる思いと尊敬の念が強くなりました。

    • キツネ より:

      いくら、非難されても反論ができる立場ではないお方です。

      しかも、基本的に自分の意見を直接述べることすら言えないはお辛いでしょうね。

      きっと、日本国民を信じてくださっているのだと思います。

  3. take-shima より:

    これを見て初めて「内閣法制局」というところの役割を知りました。
    国家の闇というものが日本には表立った存在などしていないと思っていたのですがこれがそうなのだと知って驚きました。
    明治維新前に公家が中心にやっていた事の代わりみたいなものなのかもしれませんけれど公家の場合はその一族が昔から天皇家より定められてその役割を務める事を認められている事は勿論「どこの馬の骨」には当たらないでしょう。
    しかし「東大卒の官僚」などだけで氏の素性も明らかになっていない輩も入り込む事が出来るシステムでしょうからこの『現代の伏魔殿』とも番組の中でも揶揄されていましたけれどここをぶっ潰す事をやらなければいくら政治家達が自浄努力をやってもこの国は良くならないでしょうし天皇制を危ぶむ可能性を孕ませたまま時代が進む気がして恐ろしく感じました。

    • キツネ より:

      ネットがない時代だったら理解できますが、頭がいいの人はどうして偏った考え方のままなのかが不思議ですね。

      私も今回初めて、内閣法制局の存在を知りました。

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