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大阪W選勝利の吉村・松井氏初登庁
大阪府知事選挙と大阪市長選挙を制した『大阪維新の会』松井一郎大阪市長と吉村洋文大阪府知事が初登庁後に記者会見を開きました。
その記者会見の場で、任期中に市を廃止して特別区に再編する大阪都構想の住民投票実施を目指すとした上で次の様に語りました。
「反対会派の声を丁寧に聞き、協力を得ながら進めたい。スケジュールありきで考えていない。」
大阪都構想の制度案を作る府と市の法定協議会の進め方についても、強引にやる必要はないとの考えです。
そこには、反対派に配慮する姿勢が感じられました。
一方、吉村氏は次の様に強調しました。
「法定協を速やかに再開し、任期中に必ず住民投票を実施したい。」
スケジュールありき考えず 松井、吉村氏初登庁会見
当選した、松井氏と吉村氏に笑顔がないわけ
事前調査では、大阪府知事選挙で
しかし、大阪市長選挙で
なぜなら、大阪都構想に反対する人がかなりいるからです。
つまり、出口調査をやっていますので1時間前にはすでに分かっていたはずです。
当選した2人に笑顔や万歳はありませんでした。
多くの候補者は当選することが目的となっています。
しかし、この2人にとって当選することは最初の1歩にしかすぎません。
この後に、どうやって大阪を改革していくかの重責が一気にのしかかっただけにすぎないのです。
松井一郎氏が今回の選挙に賭けた決意の強さ
4月8日に産経新聞のネットで紹介された記事があります。
当時は大阪府知事だった松井新市長と、大阪市長だった吉村新知事の決意がよく伝わってきます。
[産経新聞] 大阪都構想・最終章へ
リミットはこの秋。
それまでに大阪都構想の住民投票ができなければ、11月の任期満了をもって政界を去るつもりだった。
暮れも押し迫った昨年12月28日夜、大阪府知事だった大阪維新の会代表の松井一郎は、かねて親交のある官房長官の菅義偉と都内で会い、そんな考えを伝えていた。
協力を見込んできた公明党に、折れる気配はなかった。
大阪市長で大阪維新の会の政調会長を務める吉村洋文とともに、局面打開の出直しダブル選に臨むのは既定路線。
4月の府議・市議選にぶつけ、盛り上げ効果で過半数を獲りに行く算段だった。
同じポストで出直した場合、任期は秋までの半年ほどしかない。
松井はその短い期間に、政治生命を懸けるつもりだった。
菅は強い口調で反対した。
「だめだよ。」
その1カ月前に、大阪誘致に成功したばかりの2025年万博にも言及した。
政権と府市が一体となって取り組んだのは何のためだったのか。「日本のためだろう」
何も言い返せなかった松井は、菅との会食に同席していた維新前代表の橋下徹とホテルで飲み直した。
答えは出なかったが、出直しのプランはほぼ消えた。
正月三が日を悩み抜いた松井は、次の任期中に都構想の決着をつける覚悟を固めた。
知事としてではなく、市長としての4年間で。
選挙経費の無駄を避けるには入れ替えの奇策しかなかった。
吉村も同意した。
橋下は1月12日の関西テレビの番組で次の様に述べた。
「入れ替わりもあり得る。」
松井が代表を務める国政政党の日本維新の会は、首相の安倍晋三にとって貴重な改憲勢力だ。
与野党対決法案でも、維新が与党に歩調を合わせることは少なくなかった。
逆に、松井と橋下が言い出した万博誘致は、菅-安倍ラインの快諾を得たことで経済界も重い腰を上げ、オールジャパン態勢が確立された。
官邸と維新のつながりは深い。
維新と全面的な敵対関係にある自民大阪府連とは当然“温度差”が生じる。
今回のダブル選で、自民系候補の出陣式には幹事長の二階俊博や選対委員長の甘利明が駆けつけたが、安倍は姿を見せなかった。
公明党大阪府本部も自民系候補を推薦したが、党代表の山口那津男も大阪入りしなかった。
公明関係者は「官邸サイドから要請があったようだ」と明かす。
府市の二重行政解消のため大阪市を廃止するという都構想は、橋下が平成22年に党を旗揚げしてから、常に政策の『一丁目一番地』にあり続けてきた。
橋下が府知事から市長選に回り、府議だった松井が知事選に出た23年11月のダブル選以来、維新が首長選で都構想を争点とするのは今回で4回目。
毎回有権者からは「よく分からない」という声が上がる。
しかし、改革政党としての維新のイメージが民意をつかみ取る。
都構想ではこのサイクルが続いてきたと言っていい。
入れ替えという手法に猛批判を浴びながら、維新はまたしてもダブル選を制した。
しかし市議会のハードルは高く、単独過半数の野望はくじかれた。
都構想の置かれた状況は選挙前と何も変わらないということもできる。
ただ松井、吉村に再び4年という時間が与えられた点は、維新にとって大きい。
菅の言葉もあって政界引退を翻意した松井だったが市長選に出馬するにあたって「政治家として最後の戦いになる」と明言している。
1期4年のうちに都構想に決着をつける。
もう出直しも、入れ替えもしないという決意表明だったともいえる。
松井はダブル選に完勝した7日夜の会見で「身の引き締まる思い。重責に対する緊張感の方が高い」と述べた。
都構想の最後の挑戦が始まった。
その時「こいつ命かけとるな・・・」と感じました。
松井さんは大阪市長を4年間務めたら、政界から引退します。
【4月6日(土)】『平成最後の大合戦!維新でナイト』生中継
維新と公明党の間で交わされた密約に対する裏切り
この大阪ダブル選挙が行われることになった背景には、公明党の裏切りがありました。
実は、大阪維新の会だけでは大阪府議も大阪市議も過半数に達していませんでした。
つまり、大阪維新の会だけで大阪都構想の住民投票の決議案を通すことができなかったのです。
そこで、公明党に賛成してもらう話が裏でついていました。
しかし、公明党はこの密約を反故にします。
第48回 衆議院選挙の密約とは?
大阪維新の会は住民投票の決議案に賛成してもらうための見返りとして、次の密約が大阪維新の会と公明党の間で密約が交わされていました。
次の衆議院選で松井さんは6つの選挙区で維新の大物を立候補させるでしょう。
大阪市議選では過半数に達していない
今回の同日に行われた、大阪府議選挙と大阪市議選挙で大阪維新の会の完全勝利とはなっていません。
なぜなら、大阪維新の会だけで住民投票の決議案を通すための過半数に達しなかったからです。
2019年 大阪府議選挙
大阪府議選挙は定数88議席の内、前回の40議席から51議席に大幅に議席を伸ばし過半数を獲得に成功しました。
2019年 大阪市議選挙
一方、大阪市議選挙では定数83議席の内、前回の35議席から40議席まで議席を伸ばしました。
しかし、過半数に届くまであと2議席たりませんでした。
今の地方自治は明治時代の廃藩置県と同じ
当時の移動手段は歩くしかありませんでした。
しかし、現代は交通の発達によって大きく国民の生活スタイルが変化しました。
今では大阪の梅田で働いている人は兵庫県、京都府、奈良県などの他府県から働きにきています。
住んでいる場所と働いている場所がまったく違う状態で、今の税制が行われていることは実に不自然なのです。
もし、大阪で成功すると全モデルケースとなり、日本全体が大きく改革が起こるかもしれない。
反対するのは市議会や県議会
この大阪都構想を皮切りに、日本全体で改革が行われても住民に大きな変化はないと考えられます。
一方、大きく影響が及ぶのは選挙区を持っている議員達です。
なぜなら、自分の選挙区が区分けされることで今の立場がどうなるかわからないからです。
大阪府連は共産党に応援をお願いしたとは言っていませんが、やっぱり疫病神なんでしょうね。
万が一、松井さんが負けたら、ぼくはもう一生たこ焼きもお好み焼きも食べん!
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2019年3月22日
百田さん、無茶苦茶プレッシャーです。 https://t.co/3QMdgkbtr1
— 松井一郎(大阪市長) (@gogoichiro) 2019年3月22日
維新を応援してくれた皆さん、ありがとうございます😊
もし維新が負けたら、一生、タコ焼きとお好み焼きは食べない!と宣言していましたが、ほっとしています。
松井さん、吉村さん、あとは頼むで!— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2019年4月7日
このプレッシャーが効いたな😅 https://t.co/VvFMffvWtY
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2019年4月7日
宮古島から弾薬撤去 陸自隊員「どう戦えば」
現在、宮古島は異常事態に陥っていると言えます。
事前に、宮古島に保管するものは小銃弾等と地元へ説明していました。
しかし、実際はより火力の強い中距離多目的誘導ミサイルなども保管したことで、地元住人から反発を招いていました。
この説明不足が原因で、宮古島市の
そして、防衛省は駐屯地に保管されていた、中距離多目的誘導ミサイルと迫撃砲の全弾薬の撤去を指示し、完了したばかりです。
そのため、宮古島は空の発射機と軽装備での対処を強いられる隊員が残される異常事態になっています。
本当に宮古島住人が反発していたのか?
宮古島は沖縄戦をあまり経験していないため、沖縄県本土のような軍に対するアレルギーは低いと言われています。
最近では中国の軍艦が通っています。
そのため、宮古島の住人としては「自衛隊の人に来てもらった方が安心」と、考える人は少なくありません。
報道では反発しているのは地元住人と伝えていますが、一部の活動家が言っていることも十分に考えられます。
岩屋防衛大臣はそれに屈してしまったような話です。
それにも関わらず、武器弾薬を撤去って何それって話です。
宮古島を標的にしている計画『ショート・シャープ・ウォー』
ミサイルと海上民兵によって沖縄・南西諸島を攻撃し、米軍が助けに来る前に日本を屈服させると言う計画です。
その時、中国軍は宮古島を攻めてくることが考えられます。
なぜなら、宮古島には空港があるからです。
【火曜特集】
日本敗戦革命!第2の危機
コミンフォルムによる日本分断の危機
戦後、敗戦国となった日本は第二弾となる分断危機に瀕していました。
それは、再び日本に対する共産革命工作としての動きが忍び寄っていたからです。
世界を共産国にしようとする
しかし、第二次世界大戦が終結した後、ソ連はヨーロッパの東欧諸国を次々に共産国にしていきました。
そして、
この大会に日本の共産党幹部クラスも出席していたと言われています。
当時の国務長官が引いたアチソンライン
当時、アメリカの国務長官は民主党の
このアチソン氏が
このアチソンラインとは、アメリカが責任を持つ防衛ラインでした。
その領域はフィリピン~沖縄~日本~アリューシャン列島までとされていました。
ここで問題になったのは、韓国と台湾を入れていないことでした。
ディーン・アチソンの間違った判断
当時の時代背景を考えてみましょう。
ソ連は東欧諸国の共産化を終えアジアに侵略しようとしています。
そして、中国にも共産党政権が誕生し、チベットやウイグルを侵略し始めていた時です。
つまり、世界を共産化することに躍起になっていました。
とりわけ、中国の
そのタイミングでアメリカは韓国や台湾を守る気ありませんと宣言したのです。
つまり、『しんぶん赤旗』ばかり読んで物事を考えている人と言えます。
後に、朝鮮半島や台湾を含めないわけではないと訂正はしています。
中華人民共和国の建国から朝鮮戦争へと
その直後の12月6日に毛沢東主席は列車でモスクワにむかいます。
12月16日に到着すると、
その後、結ばれたのが『中ソ友好同盟相互援助条約』です。
『ソビエト社会主義共和国連邦と中華人民共和国との間の友好、同盟及び相互援助条約』
この条約には次の内容が書かれていました。
「日本の侵略を阻止するために中国とソ連は同盟を結ぶ」
そのためには、朝鮮半島を支配下に置くことでした。
ソ連代表部が日本に革命指示
そして、ソ連は日本の共産党に革命を起こすように指示を出したのが2月18日でした。
その目的は朝鮮半島に攻め込む際、アメリカ軍が来ないように日本の中で武装革命を起こし足止めさせるためでした。
当時の日本には軍がいないどころか、警察官もいませんでした。
そのため、日本共産党員が武装革命を起こしても、在日米軍ぐらいしか取り締まることができなかったのです。
朝鮮戦争が勃発
アチソンがアチソンラインを発表した、たった半年後に朝鮮戦争が勃発します。
朝鮮戦争勃発する。
当時、アジアにはほとんど軍隊がいませんでした。
そのため、7月8日 に
その後、北朝鮮の進撃が続き9月14日に釜山までやってきます。
その翌日となる15日、マッカーサーが指示し国連軍による
仁川上陸作戦の成功には日本
今となっては証拠がありませんが、韓国人の口伝えの歴史ではあまり表になっていない噂もありました。
それは日本軍の将兵たちが通信部隊などを小銃や日本刀などで潰したという噂です。
なぜなら当時、朝鮮半島の地形を一番わかっていたのは米軍ではなく旧日本軍でした。
つまり、米軍が旧日本軍を利用したとも考えられるのです。
現代となっては、朝鮮戦争が勃発したのは北朝鮮の
しかし、これはソ連が崩壊する直前まで、日本では北朝鮮と韓国のどちらが戦争をしかけたのか、わかりませんでした。
米軍が北海道の防衛を断念
この時、日本を守るためにいたはずの米軍はほとんど韓国に向かっていたため、日本は空の状態でした。
つまり、このタイミングで北からソ連が北海道に攻め込んでくると、もはや守ることは不可能とまで言われていました。
そのため、米軍はソ連攻めてきたら北海道や東北は占領されても仕方ないと諦めていました。
それが決定的になったのが、11月25日に中国人民義勇軍30万人が朝鮮戦争に介入したことでした。
この瞬間、実質的にアメリカは北海道防衛を断念しました。
日本が共産主義勢力の野望を打ち破った要因とは?
ここまで、日本は共産主義によって分断の危機に晒されますが、実現することはありませんでした。
その要因には「仁川上陸作戦の成功」「日本の警察予備隊の創設」の他に重要なことがありました。
それが、日本共産党などの革新勢力が中国やソ連に同調しなかったことです。
その中でも、当時の社会党は朝鮮戦争のことを韓国ではなく北朝鮮が攻めてきて始まった戦争と言って、北朝鮮を非難していました。
当時の社会党は貧民救済の愛国者が多くいたため、コミンテルンの流れとはまったく違いました。
その代表格の人物が、第2代の民社党委員長を務めた
日本を守ってくれたのは西村さんのお父さんのおかげだったんですね。
19/4/9 #キツネニュース
①維新が住民投票を通すために2議席たりないhttps://t.co/nLsO9J4Ikz
②戦後、日本は東北まで占領される危機があった!https://t.co/SQHfGk6Xpj
③日本を救うのに一役に西村眞悟さんのお父さんがhttps://t.co/4bh8GUL6es
— 虎ノ門ニュース【非公式】BLOG (@toranomonnews) 2019年4月14日