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平成31年4月3日 (水) 井上和彦 × 藤井厳喜

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ロシア疑惑 4月中旬までに詳細公表 ウィリアム・バー米司法長官

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
最終レポートをモラー特別捜査官がバー司法長官にだして終わりました。

結局、トランプ陣営がロシアとの共謀はなかったことが証明されたのです。

ロシアゲートは反トランプ陣営のクーデターだった

そもそも、ロシアゲートとは一体なんだったのでしょうか?

2年以上かけて操作が行われましたが、結局は何も証拠がつかめず無罪が証明されたにすぎません。

つまり、反トランプ陣営のクーデターが失敗に終わったと言えます。

では、反トランプ陣営と言えばどのような人達を指すのでしょうか?

ロシアゲートを画策した反トランプ陣営とは?

これらが三位一体となって、2016年アメリカ合衆国大統領選挙ヒラリー (Hillary) クリントン (Clinton) 氏の当選のために動きます。

選挙の結果、トランプ大統領が当選すると今度は権力の座から引きずり下ろすために動いていました。

FBIがロシアゲートに加担したいたことが何よりも問題

モラー氏は2001年 (平成13年) 9月4日~2013年 (平成25年) 9月4日の間、第6代連邦捜査局 (FBI)長官を務めていました。

そのため、2017年 (平成29年) 5月17日に司法省からロシアゲートに関しての特別捜査官を任命されていました。

本来であれば、司法省はもっとも中立性が求められなければいけないはずです。

それなのに、トランプ陣営にスパイを送り込こませ、選挙介入していたことが発覚しています。

トランプ大統領に関する偽の情報を集めて、その情報をあたかもFBIが操作したかのように仕立てあげます。

その情報を持って、トランプ陣営に盗聴する必要があるとして、裁判所に許可を求めます。

結果的に裁判所はその偽の情報を信じてしまい、許可を出します。

そのため、トランプ陣営に諜報員が入って情報をとっていました。

つまり、連邦の司法省であるFBIが関与していたとんでもない問題なのです。

そこで、問題となってくるのはトランプ大統領に対する偽の情報を集めて、誰が調書を作ったのかということです。

その人物はクリストファー (Christopher) スティール (Steele) 氏です。

元MI6に所属していたクリストファー・スティール

クリストファー・スティール氏はイギリスの情報機関の1つである、秘密情報部 (MI6)に所属していました。

しかも、このためのお金を支払ったのがアメリカ民主党全国本部とヒラリー陣営だということが、はっきりしています。

しかし、現在イギリスでクリストファー・スティール氏名誉棄損で裁判にかけられています。

しかも、その宣誓証言で次のような内容を述べています。

「ロシアに行って情報を集めていない、CNNの掲示板の様なところで書かれていることだけを探して集めただけ。」

ロシアゲートは現代の逆ウォーターゲート事件

モラー特別捜査官は、トランプ大統領とロシアの共謀を証明できないとなると、次の手段に出ました。

それが、司法妨害でした。

つまり、司法がロシアゲート問題の捜査に対して、トランプ大統領が妨害してきた時に司法妨害で起訴しようと考えたのです。

しかし、トランプ大統領はその手には引っかかってきませんでした。

結局は、司法妨害に関しても証拠不十分だから起訴していません。

今回の事の成り行きとして、政府機関が選挙に介入していたことになります。

これはまるで、1972年 (昭和47年) にアメリカでおきた、ウォーターゲート事件とまったく逆のパターンです。

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
合法的に選ばれた大統領を、非合法の手段で引きずりおろそうとしていたのです。
居島一平さん
居島一平さん
ウォーターゲート事件よりこっちの方がよっぽど恐ろしいですね・・・

アメリカ法治主義と民主政治の一大危機だった!

#キツネのアンケート


蔡英文総統 台日米とパラオは「インド太平洋戦略のパートナー」


インド太平洋戦略におけるパラオの重要性

パラオは台湾と国交を結んでいますが、中国とは結んでいません。

そのため、中国はなんとか崩したいと思い、様々な形でアプローチをかけています。

一方の台湾はなんとかパラオと国交を維持したいと考えています。

この考え方は、アメリカも同じ考えです。

まず、ポイントとなるのは中国が考える【第一列島線】と【第二列島線】です。

地図を見ればわかるように、沖縄と台湾のラインは中国の侵略を防ぐための防波堤の役割があります。

もし、台湾を中国にとられてしまうと、防波堤が崩れてしまうことになります。

その先にあるのは、グアムやサイパンその次にハワイとなり“線”ではなく “点”で防がないといけなくなるからです。

アメリカが制定した『台湾旅行法』とは?

2018年 (平成30年) 3月16日 アメリカで『台湾旅行法 (Taiwan Travel Act) 』が成立されました。

『台湾旅行法』

アメリカ合衆国および台湾の高級官僚の相互の訪問を促進する法律

これが成立したからこそ、蔡英文 (さいえいぶん) 総統がハワイに行き、安全保障の話し合いが実現したと言えます。

井上和彦さん
井上和彦さん
この前、私がパラオに行った蔡総統と同じホテルでした。

思わず「ガンバって下さい」声をかけると、握手してくれました。



昭和の英雄が語る ~大東亜戦争・偉大なる記憶~

現在、 (まき) 勝美 (かつみ) さんは熊本県の熊本市にお住まいです。

当時は、飛行機の整備をされていました。

航空機となるとどうしてもパイロットが注目されがちですが、飛び立つ前の点検や整備はもちろん大事です。

しかも、それだけでなく戻ってきてからの点検や整備も同じ様に重要な任務でした。

極寒の地で航空整備

当時、牧勝美さんは満州のチチハル (斉斉哈爾) で航空機の整備をされていました。

その場所は零下30度の極寒の地でした。

航空機といえばパイロットが目立ちますが、それより重要なのはいかに整備できているかで性能が決まってきます。

パイロットが戦闘から戻ってくると、航空機からすぐに潤滑油を取り出していました。

なぜ、わざわざ潤滑油を航空機からとるかと言えば、潤滑油を凍ることから防ぐためです。

そして、翌日航空機を動かす前はエンジンに覆いをかけて下で炭火を炊きました。

それと同時に、別で潤滑油を炭で温めておきます。

温めておいた潤滑油を航空機の中に入れます。

これらは、もちろんすべて手作業で行っていました。

航空機の整備は子供に着物を着せる母親の気持ちで

エンジンを長くもたせるポイントもありました。

それは、まずは手でプロペラを動かしてみてプロペラがゆっくり動くようになってからスイッチを入れて動かしていました。

エンジンを長くもたせるためには、充分に油が回ってからスピードを出しパイロットに渡るこどが大事だったからです。

陸軍航空技術学校の教官は航空機を整備することを次の様に例えていました。

母親が子供を着せる着物を常に整備して、ちょっと見るだけではなく丹念に調べる。

普通の人が気が付かないところまで、気を利かせて安全なのを確認する。

因縁の12月7日 発表されなかった大戦果

昭和19年 当時24歳だった牧勝美さんは浜松陸軍飛行学校にいました。

ここは重爆撃機の大本山として、部隊名は飛行第100戦隊に所属していました。

少佐がトップの戦隊長になりますが、牧勝美さんは整備だけではなく飛行第100戦隊のナンバー2の任務も務めていました。

そこに、サイパン攻撃をやるように命令が下りました。

サイパンは日本から2,500kmも離れています。

浜松からサイパンの距離

しかし、大本営としてはどうしてもサイパンの飛行場をたたいておく必要がありました。

なぜなら、そこから東京空襲にくることが予想されていたからです。

本来であれば、この役目は海軍だったのかもしれません。

しかし、マリアナ沖海戦でやられたため、航空母艦を持ってない海軍にそれができませんでした。

一方、陸軍航空部隊は重爆隊がまだたくさん残っていました。

そのため、飛行第100戦隊の精鋭を選りすぐって毎晩海上訓練をしていました。

敵の戦闘機や高射砲が優秀だったため、超低空で飛行する必要がありました。

なぜなら、超低空で飛行することでレーダーに捕まらないからです。

その高度の低さはなんとたったの300mです。

しかも、飛行するのは昼間ではありません。

夜の海上を300mの超低空で目標もわからずまっすぐ行く訓練だったのです。

真珠湾攻撃の仇討ちが計画されていた

ついに、浜松飛行学校にサイパン攻撃の部隊を編成しろと命令が下りました。

編成されたのは10月で、攻撃したのは12月7日でした。

この12月7日に攻撃したのにも理由がありました。

アメリカにとって1941年 (昭和16年) 12月8日は真珠湾攻撃を受けた日です。

この日に、仇討ちとして大空襲をすることが分かっていたからです。

日本側の偵察機が撮ったサイパンのアスリート飛行場の写真には何百機もの戦闘機が写っていました。

それを防ぐために、7日の未明に日本軍はサイパン攻撃をしかけるつもりでした。

サイパンのアスリート飛行場を空爆

サイパンに向かった日本軍は飛行場で25キロの爆弾を滑走路めがけてたくさん落としました。

すると当然、アメリカ側も地上から対空砲火で撃ってきます。

戦隊長の航空機がやられ、8機あった味方の航空機が6機も落とされました。

ところが、その後10日ばかりは敵の爆撃はありませんでした。

なぜなら、サイパンのアスリート飛行場が日本の空爆でやられた結果、使えなくなったからです。

つまり、大戦果だったと言えます。

しかし、アメリカ側はこのことを発表することはありませんでした。

終戦後、牧勝美さんが現地のアスリート飛行場を訪れたことがありました。

日本軍の爆撃機で飛行場は穴だらけになってしまいその穴から木が生えていると、現地の人から聞いたそうです。

義烈空挺隊指揮官を務めていた奥山道郎大尉

義烈空挺隊 (ぎれつくうていたい) とは昭和20年5月沖縄戦が真っ只中、奇襲攻撃をしかけるために編成された部隊です。

空挺隊とはいわゆるパラシュート部隊です。

爆撃機に1機に14人ずつの人員を乗せていました。

飛行場に着くと着陸するわけではなく、文字通り滑り込んで突入していきました。

その後、地上にある航空機に手榴弾などを投げるなどの強硬破壊の決死隊でした。

そのため、空挺特攻と言われていました。

義烈空挺隊、出撃前の宮城遥拝

出撃前に義烈空挺隊の方々は宮城遥拝 (きゅうじょうようはい) をしていました。

宮城遥拝とは、皇居の方角にむかって敬礼する行為です。

皇居に向かって敬礼をした次に、故郷にむかって敬礼をしていました。

義烈空挺隊の方々は様々な故郷から集まっているので方角はバラバラです。

写真に写った敬礼はバラバラですが、故郷の父母に対する思いは同じだったのです。

奥山道郎大尉と諏訪部忠一大尉の笑顔の握手

この隊長を務められていた、義烈空挺隊指揮官奥山 (おくやま) 道郎 (みちろう) 大尉と牧勝美さんは、昭和15年 陸軍士官学校第53期生 第六学班で同期でした。

出撃前に輸送機隊編隊長を務めていた諏訪部 (すわべ) 忠一 (ちゅういち) 大尉と握手を交わす奥山道郎大尉の写真があります。

本人たちは、まず生きて帰れないことがわかっています。

しかし、当時の人は決して悲壮な感情を抱いているわけではありませんでした。

あくまで死というのは、1つの区切りであって、また来世があると考えられていたそうです。

もちろん、その来世とは靖國神社です。

牧勝美さんは「頑張れよ」と成功を祈る思いだったそうです。

牧さんが見た義烈空挺隊

昭和20年5月24日 義烈空挺隊は136名12機で出撃しました。

なんとしてでも、沖縄を守らないといけないという思いがあったからです。

1番機には陸軍中野学校の方も4名乗り込んでいました。

これは奇襲が成功したら、その場で散開したゲリラ戦をするためでした。

結果は4番機だけ突入に成功したと伝えられています。

アメリカも驚いた義烈空挺隊の奇襲攻撃

部隊にはアメリカ系の日本人の二世がいました。

彼が兵役について、アメリカ軍の通信が傍受できるかもしれないとし通信の部隊にいました。

義烈空挺隊が突入した直後にアメリカの通信が入ってきました。

しかも、英語の生の音声でした。

大変だ大変だ。日本が強行着陸して、飛行機を焼いたり爆弾倉庫や燃料倉庫を攻撃して大暴れしている。
飛行場は大混乱し飛行機は着陸できないぞ。

しばらくすると、パッと切れて、今度は暗号電報に切り替わりました

本来であれが最初から暗号電報を打たないといけなかったのです。

アメリカ軍はビックリして暗号ですることを忘れてしまっていたのです。

義烈空挺隊の沖縄での戦果

義烈空挺隊が強行着陸に成功したら発煙筒を上げる約束になっていました。

北飛行場の読谷から3発、嘉手納からは2発が上がったことを確認しました。

ところが、実際にアメリカ軍の記録に残ったのは読谷だけです。

つまり、他の人は着陸したけれど、敵の飛行機を破壊することができずに、やられたということです。

結果としては、出撃した義烈空挺隊の航空機は1機も戻ってくることはありませんでした。

奥山道郎大尉が出撃前に残された遺書

遺書

昭和二十年五月二十二日

此の度 義烈空挺隊長を拝命
御垣の守りとして 敵航空基地に
突撃いたします 絶好の死場所を得た
私は日本一の幸福者であります
只々 感謝感激の外ありません
幼年学校入港以来十二年 諸上司の
御訓戒も今日の為の様に思われます
必成 以って御恩の万分の一に
報いる覚悟であります
拝顔お別れ出来ませんでしたが
道郎は喜び勇んで征きます
二十有六年親不孝を深くお詫び
致します

御母上様

若者たちへ…昭和の英雄より

日本は素晴らしい国なんだ

日本の国柄を発揮したら素晴らしい国なんだ

大部分の人は立派な人が多かったんだ

そういう祖先の血をあなた方は受けているんだから

立派な伝統を自分も持っているんだと言う誇り

そして立派な日本の国にする

そういう具合に立派な日本を作り

みんなが喜ぶ世界にするように頑張ろうじゃないか