心臓深入り!虎ノ門ニュース【非公式】BLOG
水曜日

平成30年12月5日 (水) 井上和彦 × 藤井厳喜

平成30年12月5日 (水) 井上和彦 × 藤井厳喜
虎ノ門ニュース ブログ 検索

国別で見る訪問者の数
虎ノ門ニュースは海外でも人気
国別で見る訪問者の割合
虎ノ門ニュースは海外でも人気

アメリカ 中国に譲歩迫る見通し 貿易交渉団トップに強硬派

トランプ大統領が中国交渉人の交代させる意図とは?

今まで、中国の交渉相手を務めていたスティーブン・ムニューシン財務長官は金融グループのゴールドマン・ (Goldman) サックス (Sachs) の共同経営者として17年間も務めていました。

その時、ゴールドマン・サックスの会長兼最高経営責任者を務めていた人物はヘンリー・ (Henry) ポールソン (Paulson) CEOです。

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
ヘンリー・ポールソンはチャイニーズ・ポールソンと呼ばれていたくらい親中派の人物です。

トランプ流交渉術

実は、この人事はドナルド・ (Donald) ジョン・ (John) トランプ (Trump) 大統領独自の交渉術が発揮されたと言っても過言ではありません。

スティーブン・ムニューシン氏は中国に対して同情的だと知っておいて、あえてトップに置き中国が妥協するかどうか対応を見たのです。

しかし、結果的に妥協しなかったため、対中強硬派として知られているロバート・ライトハイザー氏に交代させました。

米中トップ会談の時からかけていた圧力

アルゼンチンの首都であるブエノス (Buenos) アイレス (Aires) で開催された米中の首脳会談での出来事です。

実は、アメリカのトランプ大統領は中国の習近平 (しゅう きんぺい) 国家主席に対して、すでにプレッシャーをかけていました。

それは、会談の時に座っていた顔ぶれでわかります。

トランプ大統領の左隣にはスティーブン・ムニューシン氏が座っていましたが、その隣にロバート・ライトハイザー氏が座っていました。

そして、トランプ大統領の右隣にはジョン・ (John) ボルトン (Bolton) 国家安全保障問題担当大統領補佐官が座っており、その隣に国家通商会議のトップを務めるピーター・ (Peter) ナヴァロ (Navarro) 氏が座っていたのです。

ピーター・ナヴァロ氏に至っては、今の対中戦略の司令塔となる人物です。

中国がフェンタニルを取り締まると発言

今、アメリカ国内でフェンタニル (Fentanyl) が蔓延していることが問題になっています。

フェンタニルとは合成オピオイド (Opioid) で麻薬の一種です。

このフェンタニルは中国からアメリカに輸出されていることがわかっています。

日本では報道されていませんが、実はこのことに関してロバート・ライトハイザー氏が中国に問い詰める場面がありました。

「中国がアメリカに麻薬を蔓延させるため、中国マフィアがアメリカに輸出することに規制をしていないのではないか?」

これに対して中国はこう答えます。

「フェンタニルの対米密輸を厳しく取り締まる。」

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
これはまるで、アヘン戦争の時のイギリスと清と同じです。

これから取り締まるということは、今まで取り締まってなかった証拠ではないか!

トランプ大統領が習近平国家主席に与えた90日間の猶予期間

今回の米中会談でアメリカは中国に90日間の猶予を与えました。

この90日間の猶予とは、本来であれば中国からアメリカに輸出する2,000億ドル相当の輸入品に対して10%から25%に引き上げる予定を見送ったことです。

しかし、中国はたった90日間の猶予期間をもらうために、アメリカから農産物、工業製品、エネルギーを大量に購入します。

これは、中国がアメリカに出した報復関税を事実上廃止したことになります。

中国では豚肉が大問題

特に、中国人が大好きな豚肉の値段が高騰してしまい大問題になっています。

一時しのぎとして、中国はロシアから輸入していましたが、豚コレラに罹っていたりしており大変困っています。

アメリカのトランプ大統領は中国に対して何も妥協していない。

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
ただ、トランプ大統領は10%の関税を25%に引き上げるのを90日間待ってやると言っただけです。

関税率を引き下げるとは言っていないのです。



米朝が板門店で会談か 韓国メディア報道

最近のアメリカが北朝鮮に対する動きとは?

最近、トランプ大統領の北朝鮮に対する動きは静かなものがあります。

表だった動きとしては、10月7日にマイク・ (Mike) ポンペオ (Pompeo) 国務長官が北朝鮮を訪れました。

どうしても、韓国が北朝鮮にすり寄る報道が多いのが現実です。

もしかして、トランプ大統領は北朝鮮に対する手を緩めてきたのでしょうか?

井上和彦さん
井上和彦さん
結果だけを見ると、まったくトランプ大統領は北朝鮮に対して手を緩めていません。

それは、板門店で準備を進めていることからわかります。

米朝首脳会談を板門店でやる意味とは?

当初、初の米朝首脳会談は板門店 (はんもんてん) で行われるのではないかと言われていました。

2018年 (平成30年) 6月12日

シンガポールでアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩総書記が初めての米朝首脳会談を開催する。

 
この板門店は朝鮮半島にとっては休戦状態を象徴する場所です。

そこで、もし首脳会談が決裂してしまうと大きな意味合いを持ってしまいます。

韓国はかなり宥和的な政策をとっていますが、アメリカはかなり強硬的な政策をとっていると考えられます。

最近の韓国が北朝鮮に対する動きとは?

アメリカは中国を締め上げることが、経済的な北朝鮮対策になることをわかっているので貿易戦争を仕掛けているとも言えます。

しかし、韓国の文在寅 (ムン・ジェイン) 大統領はもはや、国際的な北朝鮮に対する経済制裁を守っていません。

北の核は朝鮮民族の核

更に問題なのは、韓国は北朝鮮の非核化を進めようと思っていないという点です。

なぜなら「北の核は朝鮮民族の核である」という考えを持っている、左翼的集団がいるからです。

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
核を持ったまま統一することで核保有国になることを望んでいます。

なぜなら、日本はもちろんアメリカや中国と対等もしくはそれ以上の国になれると思っているからです。



日産ゴーン氏再逮捕へ 直近3年分40億円不記載疑い

ゴーンとフランスのマクロン大統領の関係

以前は、カルロス・ (Carlos) ゴーン (Ghosn) 容疑者とフランスのエマニュエル・ (Emmanuel) マクロン (Macron) 大統領の仲はあまりよくありませんでした。

なぜなら、社会党のフランソワ・ (François) オランド (Hollande) 元大統領の側近としてマクロン氏は経済・産業・デジタル大臣に就任していました。

その時、ルノー (Renault) の大株主だったフランス政府として、トップを務めていたゴーン氏に政府の指示に従う様に圧力をかけますが、それをゴーン氏が従わなかったためです。

なぜなら、ゴーン氏は政府の介入をそもそも嫌っていたからです。

しかし、転機を迎えた時はマクロン氏が2017年 (平成29年) フランス大統領選挙で大統領に就任した時でした。

ゴーン氏とマクロン大統領はギブ・アンド・テイクの関係を結びます。

ゴーン氏がルノーのトップでいさせ続けてくれることを条件に、マクロン大統領の日産自動車の完全なる子会社化の条件を飲んだ。

ゴーンとルノーというしがらみ

確かに、ゴーン氏は日産自動車の復活を成し遂げました。

しかし、日本人ではできなかった今までのしがらみを切っただけにすぎません。

日産自動車はルノーに比べて技術的に優位なので、今ではしがらみとなってしまいました。

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
マクロンがゴーンを擁護するのは当たり前です。

せっかく、ゴーンは腐れ縁を切ってくれたのに、今度はゴーン自身とルノーが腐れ縁になってしまいました。



昭和の英雄が語る ~大東亜戦争・偉大なる記憶~


深井俊之助さん104歳の偉大なる記憶

深井 (ふかい) 俊之助 (としのすけ) さんは戦艦【大和 (やまと) 】の副砲長をされていいました。

しかし、大東亜戦争以前から貴重な戦いをされています。

1935年 (昭和10年) 日本で大演習が行われた時、ラストエンペラーでも知られている満州国の愛新覚羅 (あいしんかくら) 溥儀 (ふぎ) 皇帝が戦艦【比叡 (ひえい) 】で日本におこしになり、軍装を着用した写真で一緒に写っています。

当時、深井俊之助さんは少尉 (しょうい) 候補生 (こうほせい) として溥儀皇帝のお世話をされたそうです。

溥儀皇帝は船に乗るのが不慣れだったのか、もどされた溥儀皇帝を介抱してさしあげると感謝されたそうです。

ガダルカナル島の戦い

ソロモン諸島 (Solomon) における最大の島であるガダルカナル島 (Guadalcanal) において1942年 (昭和17年) 8月以降、日本は連合軍とガダルカナル島の戦いを繰り広げます。

この地域はアメリカとオーストラリアを分断させるために、日本軍としてはどうしても抑えておかないといきませんでした。

そのため、ガダルカナル島に海軍の設営隊が入って飛行場を作ったのが最初です。

ガダルカナル島を巡っての戦いが数回に渡って繰り広げられました。

よく天下分け目の戦いとしては、ハワイ諸島での戦いであるミッドウェー海戦で形勢が逆転した戦いと言われています。

しかし、それは日本の空母4隻が沈んだということで、最初に受けた大きな被害にしかすぎません。

全体的な戦略という意味合いでにおいて、ガダルカナル島の日米の攻防戦において日本が撤退を余儀なくされたことが一番の分け目だったと言えます。

第一次ソロモン海戦
1942年 (昭和17年) 8月8日~9日

第二次ソロモン海戦
1942年 (昭和17年) 8月24日

第三次ソロモン海戦
1942年 (昭和17年) 11月12日~15日

 
この後の戦いに大きな影響を与えたとされています。

深井俊之助さんは14日第三次ソロモン海戦の夜戦について語ってくれました。

砲術長として挑んだ第三次ソロモン海戦

ソロモン海戦はこの歴史の中で軽視されているかもしれませんが、あんな大事な戦争はありません。

敵味方が入り乱れて、非常に乱戦でした。

しかも、ソロモン海戦は真っ暗な夜の戦いです。

敵を砲撃するつもりで探照灯を照らすと、味方だったこともあったそうです。

味方を撃つわけにいかないので探照灯で照らすのですが、それによって相手から距離を測られるのでむやみに照らすわけにはいきません。

ガダルカナル島の向かいにあるツラギ島に水上偵察機の基地がありました。

アメリカとオーストラリアの交通が激しいため「もっとその方面を警戒しよう」と言って、戦闘機隊が行って偵察機を飛ばしました。

ところが、中央ではその戦闘機を引き () げてしまいます。

深井俊之助さんはそれを行った人物が大罪人だとおっしゃいました。

なぜなら、次の日にその戦闘機が偵察に出てれば、アメリカがあんな大群をもって押し寄せてくることは事前にわかっていたはずだからです。

つまり、アメリカ軍の動きを軽視してしまったと言えます

何よりソロモン海戦が大事だったのです。

あそこで負けて、飛行機がなくなってしまったのでその後は負けてばかりでした。

そのことを回想して、「悔しい、とっても悔しい」と今でも思っていらっしゃいます。

【大和】の副砲長としてレイテ沖海戦に挑む

深井俊之助さんは池田 (いけだ) 武邦 (たけくに) と同様に、【大和】の副砲長としてレイテ沖海戦に挑まれました。

 

当時、敵の空母部隊を砲撃して沈めた時のことは鮮明な記憶として覚えておられます。

【大和】が撃てる距離まで近づいた時に、スコールが降る中で敵の空母が1隻だけ見えました。

その1隻だけを狙って『左砲戦 45度 距離7,000』で砲撃すると命中します。

そして、命中した敵の戦艦が煙を出している前を別の駆逐艦が煙幕を出すためにやってきます。

しかし、その2隻目も深井さんが沈めることに成功します。

その瞬間のことを思い返すと「それこそ、胸がすく思い」だそうです。

レイテ沖海戦にかける思い

レイテの港の外に島が2つあります。

その島に【大和】をのし上げて撃つのが、深井さんたちの考えでした。

それが可能なのも【大和】の船底は他の戦艦と違って平になっているため、傾かないのです。

もし、戦艦が傾いてしまうと撃つことはできません。

2、3発を撃ち込んだら、マッカーサーは必ず白旗をあげると思っていました。

そして、停戦し外交交渉で平和の道を探ればいいと考えていました。

7万人のカードを持ってアメリカと停戦交渉すればよかったのです。

ただ、日本は有利な条件で講和の条件を引き出すたすことを考えていたのです。

深井俊之助さんは次の様に語っておられました。

日本はあんなに広くいらないんだ。

日本が必要なのは、油だけなんだから、占領地もみんな独立させればいいんです。

何しろ国を守らないといけません。

国を守るためにはどうするかということしか頭の中にありませんでした。

俺は死ぬんだと思っていました。

そうすれば、家族や一般の人が安泰に暮らせると思っていたからです。

レイテ沖における謎の反転問題

深井俊之助さんも池田武邦さんと同じように謎の反転問題に疑問を持った人物の1人です。

目と鼻の先にレイテがあるにもかかわらず、北に反転しなければいけなかった時の艦橋の様子を今でも覚えていらっしゃいます。

深井さんは空襲があるので飛行機を撃っていたわけです。

しかし、反転して北へ北へと進んでいきます。

おかしいと思い艦橋に降りていきました。

艦橋には、栗田 (くりた) 健男 (たけお) 長官、宇垣 (うがき) (まとめ) 第一戦隊司令部、森下 (もりした) 信御 (のぶえ) 艦長の3人が椅子に座ったまま何も言いませんでした。

その時、他の参謀たちが何か話していたため、深井さんは「どうして北に行くんですか? 南に行かないんですか?」と食い下がります。

しかし「若い者は引っ込んでろ」と言われるだけでした。


南京攻略戦

深井俊之助さんはレイテ沖海戦に加えて、貴重な経験をされています。

それは、1937年 (昭和12年) 12月 南京大虐殺があったと言われる () () () () 南京事件南京攻略戦にも海軍という立場で参加されています。

揚子江遡行作戦のために鴻型水雷艇 (おおとりがたすいらいてい) (かり) 】に乗って、上海から漢口 (かんこう) 揚子江 (ようすこう) を遡さかのぼる途中、南京へ行きました

目的は陸軍が南京に上陸できるようにするためです。

揚子江に砲台が2台あったため、陸軍が上陸できませんでした。

そこで【雁】の大砲で潰す必要があったからです。

南京陥落後の街の様子

南京が陥落して10日後に深井さんたちが視察に向かいました。

その時、中国の子供達が日の丸の旗を作りそれを持って歓迎してくれたのです。

その姿を見て、深井さんは「かわいい子供だな」と思いました。

しかしその後、虐殺があったと聞いて驚きます。

「そんなバカなことがあるか!」と思って信じられませんでした。

なぜなら、深井さんたちは実際に南京の子供達と触れ合っているからです。

もし、本当に南京大虐殺が行われていて何十万人が殺されていたら死臭で近づくことはできません。

街の様子は子供が出て旗を振って遊ぶくらい静かなものでした。

みんな日本兵は支那である中国の兵隊と違うと知っていました。

支那は略奪や強姦を平気でします。

しかし、日本兵はしないとわかっていたため、南京の人達は、日本兵を歓迎してくれたのです。


平成31年3月20日 お亡くなりになりました




仏大統領 EU会談中止 デモ緊急対応 外遊も延期

フランスで起こったデモからわかること

今回デモに参加しているフランス人は黄色いベストを着て、トリコロールの国旗を手に持ちデモをしています。

黄色いベストは現場で働いている人達を象徴し、国旗は愛国心を象徴しています。

つまり、愛国者たちがデモをしているのであって、反国家を訴えているのではありません。

あくまで、フランスのためにデモをやっているのです。

燃料税引き上げでどうしてここまで大騒ぎになるのか?

今回、マクロン大統領が地球温暖化を防ぐため、化石燃料を減らすために税金を引き上げることに対してデモが起きました。

しかし、燃料税が上がることによって、一番困るのは運送や末端で働いている人たちです。

EU統合を進めようとする人は、エリートが多いことが特徴です。

マクロンはEU統合賛成派なので、主権国家の力を弱めようとしています。

民衆は商業だけでいいと思っているにも関わらず、エリートは国家まで統合しようとしています。

藤井厳喜さん
藤井厳喜さん
マクロンのやり方はいかにも上から目線のやり方。

そのため、アメリカのトランプ大統領のような民衆の味方のような草の根保守であるため仲が悪いのです。

そこで、苦しいからルノーに日産を買収させようというセコいことを考えています。

フランス人は国を愛しているからデモを行う

日本では愛国心を持つことが危険だと言われます。

愛国心を持つ者は権力者にとって危険な存在なのです。

デモのやり方は右と左で違うかもしれません。

しかし、左と言うのは反国家という意味ではありません。

平成30年12月7日 (金) 上念司 × 大高未貴|虎ノ門ニュース【非公式】BLOG へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA