火曜日

平成30年11月13日 (火) 百田尚樹 × 有本香

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ナチス帽着用で防弾少年団 非難


防弾少年団の騒動一連で百田さんが思うこと

防弾少年団 (BTS)は今回の騒動を受け11月9日(金)ミュージック・ステーションの出演が見送りました。

防弾少年団がミュージックステーションの出演を見送り

以前にもコンサートなどでナチスの制服などを連想させる衣装を着ていたことがわかっています。

確かに、ナチスの制服のデザインは女性や子供にカッコいいと思われるようなデザインを狙っているので優れているのは間違いありません。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
防弾少年団がアメリカのチャートで1位をとったというのも、かなりインチキがあったと言われています。


元徴用工 賠償申し入れ 新日鉄住金は面会拒否

日本が韓国に支払ったお金は経済援助

元徴用工と報道されていますが、徴用された働いた人ではありません。

あくまで、当時募集されていた求人に応募してきた人たちなのです。

しかも、1965年 (昭和40年) 日本は確かに韓国にお金を支払いましたが、賠償金ではありません。

あくまで、経済協力なのです。

なぜなら、日本と韓国は戦争をしていないからです。

日韓基本条約

1965年 (昭和40年) 6月22日 日本と韓国の間で調印された条約。
[PDF] 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約

 
この『日韓基本条約』の中には『日韓請求権協定』も同時に締結しています。

日本人が戦後頑張って貯めた外貨は18億米ドル

今でこそ日本円は国際通貨として使われていますが、昔は鉄や石油を買うためにはドルで支払わないといけません。

つまり、外貨は非常に重要な財産として扱われていました。

戦後、日本は外国から借金して原材料である鉄や石油を買って、それを日本国内で加工して外国に売り利益を出していきました。

それを二十数年間かけて外貨を18億米ドル貯めることができました。

当時の為替レートは「固定相場:1ドル=360円」でした。

しかし、銀行に360円持って行っても1ドルとは交換してもらうことはできませんでした。

なぜなら、銀行としては日本国内から外貨が流出することを避けたかったからだと考えられます。

そのため、もしドルが欲しい場合は闇ドルと言ってこっそり交換するしかありませんでした。

その時に必要な日本円は1ドルと交換する時、700~1,000円が必要だったと言われています。

つまり、当時のドルの価値は日本にとってそれほど価値があったことがわかります。

韓国の経済発展は日本からの経済協力支援のおかげ

当時の韓国の国家予算が約3.5億米ドルだったことに対し、日本政府は韓国政府に対し合計8億米ドルの経済協力支援を行っております。

  • 無償で3億米ドル
  • 有償で2億米ドル
  • 民間借款で3億米ドル

これによって、韓国は『漢江 (ハンガン) の奇跡』と言われる経済発展を遂げます。

それだけではなく、韓国併合した時代に整備された学校、鉄道、はげ山に約6億本の植えた樹木もすべて放棄しました。

1910年 (明治43年) 8月29日

韓国併合条約に基づき韓国併合が行われる。

1945年 (昭和20年) 9月9日 朝鮮総督府が降伏文書に調印するまで約35年間に渡って、実質的に併合が続いた。

つまり、日本が持ち出したお金で韓国国内を整備してあげたことになります。

これらの資産を当時の金額で換算すると53億米ドルにまで上ると言われています。

個人賠償を断った韓国政府

その上、日本政府は個人補償もしたいと要求したのですが、韓国政府は断ります。

なぜなら、個人補償はあくまで韓国政府からお金を渡すので、すべて政府にお金を回すように要求したからです。

しかし、そのお金は個人に回ることはありませんでした。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
もし、訴えるのであれば韓国政府を訴えるべきだ。



元朝日・植村隆氏の請求棄却 地裁「相当の理由ある」

櫻井よしこさんの記事 『慰安婦記事はねつ造である』 名誉棄損 違法性認められず 札幌地裁 (18/11/09 19:40)


元朝日新聞記者の植村隆氏が記者会見 慰安婦記事めぐり訴訟(2018年11月15日)


【会見全編】慰安婦記事訴訟 ジャーナリストの櫻井よしこ氏が会見(2018年11月16日)


植村隆氏と櫻井よしこ氏を巡る今回の裁判

百田尚樹さん
百田尚樹さん
裁判官の判断としては妥当というか当たり前、まず訴えることがおかしい。

 
1991年 (平成3年) 8月11日 元朝日新聞記者である植村 (うえむら) (たかし) 氏は元慰安婦と証言する金 学順 (キム・ハクスン) 氏の記事を朝日新聞大阪版27面に記載しました。

「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」

日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。

同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。

体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。

尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。

(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。

二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。

五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。

一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。

残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。

「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。

また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。

結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。

国際的な問題をなぜかローカルな朝日新聞の大阪版に掲載

この記事がなぜか、全国版の国際面ではなく大阪版の27面に載りました。

当時、取材した植村氏は社会部の記者にすぎませんが、わざわざソウルに行って調査をしたことも不自然な行動だと言えます。

2014年朝日新聞も植村隆氏の記事に対して謝罪記事を掲載

2014年 (平成26年) 12月23日 朝日新聞はこの記事に対して誤りであったとして謝罪記事を掲載しています。

「記事の本文はこの女性の話として『だまされて慰安婦にされた』と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。前文の『【女子挺身隊』】の名で戦場に連行され』とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。」

 
その後、櫻井よしこ氏が植村氏を「捏造記者である」と記事にしました。
それに対して、名誉を傷つけられたと訴えをおこしたのが今回の裁判です。

有本香さん
有本香さん
植村さんは名誉を傷つけられたと言っていますが、これによって大きく傷つけられた多くの日本人や日本国やあるいは亡くなった軍人たちの名誉どうなるんですか?

『週刊金曜日』の発行人なので、自前のメディアを持っているのだから、言論で抗議するべきです。

この記事が掲載されるまでの経緯

もともと、植村氏が日本と韓国の関係を悪くしようと思ってこの記事を掲載したとは思えません。

なぜなら、今と違って従軍慰安婦はあったのではないかと思う日本人が多かったため、植村氏がそう思っていたとしても不思議ではありません。

当時、植村氏の記事が朝日新聞の紙面に載るまでには、様々なやり取りがあったそうです。

それは、ある団体から金 学順 (キム・ハクスン) 氏のインタビュー記事を載せてくれと、朝日新聞のソウル支局員に依頼があったそうです。

しかし、朝日新聞のソウル支局員はそれを書きませんでした。

なぜなら、そのまま持ってこられた記事をそのまま載せてしまうと、日本と韓国の関係が非常に悪くなる可能性があると判断したからです。

この団体はそこを狙っているのではないかと思ったからです。

問題の記事を持ち込んだ団体とは『太平洋戦争犠牲者遺族会』でした。

植村氏と『太平洋戦争犠牲者遺族会』のつながり

朝日新聞のソウル支局員が載せなかった記事を植村氏はわざわざソウルまで行って書いたのが、発端となった記事です。

ここでポイントとなるのが、植村氏と『太平洋戦争犠牲者遺族会』のつながりです。

植村氏は1991年 (平成3年) に韓国人女性と再婚しています。

しかも、その女性のお母さんは梁 順任 (ヤン・スニム) 氏で『太平洋戦争犠牲者遺族会』の会長を務めています。

百田尚樹さん
百田尚樹さん
今回の裁判で植村さんは、墓穴を掘りましたね。

裁判所が捏造記者というお墨付きを付けたのですから。

有本香さん
有本香さん
しかし、女性である櫻井さんから「従軍慰安婦はなかった」と発言した時は、勇気がある人だとあの時は思いました。

だからこそ、今わたしたちがこうやって発言できるのです。

今回のこの裁判の判決に対し、原告側では「不当判決」という紙を持って報道陣の前に現れました。

しかし、その文字はきれいに印刷された文字でした。

おそらく、負けるとわかっていて事前に準備されていたのでしょう。


【火曜特集】
書店の平台までの道


年間の書籍の出版数

年間8万種類の本が出版されます。

これを365日で割ると、1日あたり約220種類の本が出版されます。

これは裏返せば、1日で220種類の本が書店から消えるという意味です。

書店と出版社をつなぐ取次

出版取次は大きく2社がシェアを占めています。

  • 日本出版販売 (日販)
  • トーハン

この出版取次が本を流通させます。

一般的に本は返品ができます。

一般顧客を対象とする書店の売上はもちろん本が売れた時です。

もし、売れなかった場合は取次に頼んで出版社に返品してもらいます。

ここで、ポイントとなるのは取次店も本が売れた時に初めて売上があがるということです。

つまり、返品された本は「出版社から書店への輸送」「書店から出版社への輸送」がまったくの無駄になります。

つまり、これは取次店が売れると思わないと、取次店が出版社から書店に運びすらしません。

本と顧客をつなぐ書店

いくら、取次店が書店に運んだとしても書店も売れる本しか販売しようとしません。

きっと、多くの人が書店に行っても棚の中に置かれた本を1冊ずつ確認するでしょうか?

おそらく、入り口付近で平積みにされた本程度しか見ないと思います。

しかし、それにはかなりのスペースを必要とします。

つまり、いくら書店に置かれたからと言って、顧客の目に留まることもないのがほとんどです。

それは書店の人もわかっているので、売れないと思う本は邪魔になるだけなので、そもそも並べもしないとまで言われています。

これらすべてをクリアーしてやっと本が平積みされるのです。